敬子(共同創業者の一人)の祖父はビルマで戦死しましたが、戦後62年を経て祖父の御霊が遺品と共に還ってきました。まさに奇跡でした。
その遺品とは、家族や友人たちが寄せ書きをした日の丸でした。祖父が戦没後、日章旗は最終的にカナダ在住収集家の手元にありました。そのカナダ人が遺族へ返還したいと希望し、旗は東京のホテルのスタッフに託されました。スタッフが約1年間かけて探し続けた結果、敬子の家族にたどり着いたのです。
「寄せ書き日の丸」を受け取った敬子の母親は「家族に会いたいとお父さんの強い魂が長い長い年月をかけて、やっと家に帰ってきはったわ。」と言いました。祖父の御霊が、日章旗と共に還ってきたのです。
敬子は2009年、婚約者だったレックス(もう一人の共同創業者)に、この奇跡について話しました。その後レックスが、返還された経緯について調査すると、先の大戦では日本兵全員が寄せ書き日の丸を携えていたことを発見しました。他の遺族へも奇跡をもたらすことができたらという二人共通の願いから「OBONソサエティ」が生まれました。
二人は、計画も活動資金もコネクションもない所から、寄せ書き日の丸についての流通経緯や背景、戦争の歴史などの調査をしていきました。
活動を開始した一枚目の日章旗は、元退役軍人を通じて入手しました。捜索や返還の手段が分からない中で、浄土真宗僧侶との予期もしなかったご縁により青森県在住の遺族が判明。無事に返還することができた初めての旗は、約4年の歳月がかかりました。
二人は、ウェブサイトを立ち上げました。インターネットを介して徐々に活動が周知されるに従い、趣旨に賛同した同志が集まりました。彼らは、それぞれ持ち前の能力を生かして遺族捜索をしました。2014年までには彼らの尽力により数十枚の日章旗返還をすることができました。
報道関連記事や口伝えなどに伴って更に活動が周知されると、日章旗返還依頼数も増えていきました。全米のみならず、オーストラリアやスウェーデン、スコットランド、カナダ、シンガポールなど遠隔地からの返還依頼も届くようになりました。活動が多忙になり安定したスタッフがいない状態で業務をこなしていくのは非常に厳しい毎日でした。代わりにボランティアたちは作業時間を倍増して活動を続けました。
日章旗返還、成功の実例ができると、レックスと敬子は、組織として安定して活動ができるようにと非営利組織の申請を勧められました。
膨大な活動量に対し資金不足によりOBON SOCIETY は、活動継続が困難な状態におちいりました。OBON の活動を留意していた日本遺族会は、協力を提案しました。
草の根運動としての地道な活動は、オレゴン州ポートランドの地ビール製造レストランや、WW2 米海軍設営部隊員の慈善団体、ニューヨーク州の米日財団、その他多くの人たちからの寄付金により OBON SOCIETY が成り立っております。
活動開始から10年を経て、OBONソサエティは日章旗返還活動の先駆者となり、2019年初頭から改善したシステムにより、33週間で72件以上の遺品を日本の遺族へ返還することができました。