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遺骨さえ故郷に戻らなかった兵士の遺品です。太平洋戦争で戦死した広島県三原市出身の男性の遺品となる「日章旗」が、アメリカから遺族の元に戻りました。
返還されたのは、三原市出身で、旧海軍の兵士としてパラオのペリリュー島で戦死した明鎮憲登さんの日章旗です。
日章旗は、アメリカ軍の元海兵隊員、リチャード・ジョンソンさんの家族が保管していました。受け取ったのは、憲登さんの妹・広田系子さんと、甥の明鎮俊成さんです。
日章旗は、およそ縦70センチ・横80センチ。「武運長久」など勝利と無事を祈る言葉とともに、家族や地域の人々の名前が記されています。多くの日本兵は、寄せ書きの日の丸をお守りとして身につけていたとされます。
一方、アメリカ軍などにとって日章旗は、敵軍のシンボル。当時は戦利品としての人気が高く、戦地から持ち帰ったものが今も世界中に残されたままだといいます。
リチャードジョンソンさん
「父から日章旗のことを聞いたことはありませんでした。他のものと一緒に自宅に保管されていて、戦争体験について多くを語らない人でした」
日章旗の存在に気づいたのは、孫のクリスさんでした。日章旗など遺留品の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」に連絡を取り、憲登さんの遺族とコンタクトがとれたのです。
明鎮俊成さん
「(初めて連絡が来たときは)びっくりした」
激戦地・ペリリュー島で戦死した憲登さんは、遺骨すら日本に帰ることはありませんでした。
明鎮俊成さん「遺骨の代わりに形あるものが帰ってきた」
年の離れた妹の系子さんは、国を離れて戦地に向かった兄の記憶はほとんどないそうです。
広田系子さん
「6歳の時です、わたしが。一日、帰ってきたことがあるんです。あれだけ覚えている」
― 77年ぶりにお兄さんの遺品が帰ってきましたが、お兄さんは帰ってきたかったと思いますか?
「ええ、そう思います」
リチャードジョンソンさん
「遺族に日章旗を返還することができて幸せです。日章旗は御霊の象徴だとも聞きました。故郷に返すことができて感激しています」
「OBONソサエティ」によりますと、これまでに日本兵の遺族などに返還できた日章旗はおよそ500枚…。団体は、今も故郷への帰還を待つ日章旗およそ2400枚を保管しているということです。
旧日本兵の日章旗がアメリカから遺族のもとへ
「遺骨の代わりに帰ってきた」 77年ぶりの帰国…
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