太平洋戦争でサイパンに出征し、戦死した養老町出身の旧日本兵、 陸田むつだ 繁義さんのものとみられる日章旗が米国の博物館で保管されていることがわかり、約80年ぶりに同町の自宅へ戻った。長男の敏弘さん(83)は「奇跡的なこと。うれしい気持ちで胸がいっぱい。父の遺品は何も戻らなかっただけに、母も喜んでいると思う」と天国の両親に思いをはせた。
日章旗には「武運長久」の文字、陸田さん、家族、近所の人などとみられる数十人の名前が記されている。敏弘さんらによると、陸田さんは1943年に26歳で陸軍に召集された。44年にサイパンに出征したといい、その際に日章旗を持参したとみられるという。
日章旗の返還を仲介したのは、これまでに多くの日章旗を遺族に返してきた米オレゴン州の非営利団体「OBON(オボン)ソサエティ」。退役した空母を改装した米テキサス州の「航空母艦レキシントン博物館」に、この日章旗が展示されていることを知った敏弘さんの長男が今春、同団体に相談したのが、返還のきっかけとなった。
日章旗のため書きは「睦田繁義君」で「陸田」ではない。だが、敏弘さんが保管する出征前に撮影された家族写真で陸田さんの肩にある旗も「睦田」と書かれ、特徴が一致することから返還が実現した。
博物館によると、旗は94年に寄贈されたが、寄贈者に関する記録は残っていない。元米兵が戦利品として戦地から持ち帰った可能性があるという。
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日章旗をOBONソサエティに託し、日本へ送り出す式典が7月20日に博物館で開かれ、米海軍関係者らが陸田さんに黙とうをささげた。スティーブ・バンタ館長は「旗は私たちのものではなく、故郷に返すべきだと思った」とあいさつした。
返還式は同29日、東京都千代田区の靖国神社で行われた。敏弘さん、妹の美佐子さん(81)、弟の靖則さん(80)も養老町や大垣市から駆けつけた。来日したバンタ館長から日章旗を受け取ると、敏弘さんらは頬をすり寄せ、父との「再会」に感激した。
そして、敏弘さんが思い浮かべたのは、2018年に亡くなった母のまさ江さんだった。
「父がサイパンへ出征すると聞いたので、母と妹、弟と、父が入隊した岐阜市の連隊へ面会に行ったが、すでに出発した後だった」と敏弘さんは振り返る。
夫と会えなかったまさ江さんは生前、高齢になるまで毎年のように靖国神社を参拝していた。夫が戦地に赴いた後、まさ江さんに届いたのは、戦死を伝える戦死公報のみ。夫の遺品が何一つ戻らなかったことを嘆いていた。
海を渡った日章旗が養老町に再び戻り、敏弘さんは自宅で広げた。「今回の返還を最も喜んでいるのは母だと思う。ようやく母の墓前に、父の帰りを報告できる」としみじみ語った。
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県図書館(岐阜市)で16日まで開催中のパネル展「ぎふ平和の祈り」で、日章旗や陸田さん一家の写真パネルが展示されている。
https://www.yomiuri.co.jp/local/gifu/news/20230810-OYTNT50130/
【読売新聞】父の日章旗 米から返還 養老の陸田さん サイパン出征、戦死 (Japanese News paper featured Flag return in Gifu Prefecture )
2023-08-11