東京新聞/顔知らぬ父の形見 手に レイテ島で戦死した熊谷の中山さん 出征から82年、日章旗を三女へ返還(A daughter of a soldier killed in action, holds a memento of her father, whom she never knew)
2023-05-11
東京新聞/顔知らぬ父の形見 手...

太平洋戦争さなかの一九四四年十一月、フィリピン・レイテ島で戦死した埼玉県熊谷市出身の陸軍伍長、中山定好さん=当時(34)=が戦地へ持参した日章旗が九日、三女の丸山節子さん(81)=同市在住=へ返還された。四一年七月、出征にあたり、親類や近所の人々が寄せ書きした旗(縦約七十センチ、横約八十センチ)で、出征から八十二年の歳月を経て、故郷へ戻った。

 同市や同市遺族連合会によると、旗は米軍兵士が戦地から持ち帰ったとみられ、戦没者の遺留品を日本の遺族へ返す活動をする米国の団体から、日本遺族会を通じて返還されることになった。県遺族連合会と同市遺族連合会の調査で、遺族が特定された。
 この日は同市役所で小林哲也市長が立ち会い、同市遺族連合会の栗原健昇会長が丸山さんに旗を手渡した。
 丸山さんは父が出征した三カ月後に誕生し、父親の顔は知らないという。戦死した父と、八〇年代に亡くなった母の間には三男三女があったが、存命しているのは三女の丸山さん一人という。

 日章旗を前に、丸山さんは「父親のわが家へ帰りたい気持ちが、日米の関係者や多くの人々の温かい心を動かし、返還につながったと思う」と関係者に感謝。その上で「父と私はこういう巡り合わせ、運命だったのか。何かの物語のように思う」としみじみと心情を吐露した。

 栗原会長は「遺族にとって、戦後はまだまだ終結していない」と所感を述べた。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/249223