手でおにぎりの少し小さいくらいの輪を作って石ころの大きさを教えて下さいました。
捜索班の工藤です。令和4年10月30日に北海道古平町出身の日本海軍兵士「可児徳美」命の日章旗を返還する為、兵士の義理の娘さんと兵士のお孫さんが待つ、札幌市内のお宅へ行って来ました。
「可児徳美」命は昭和20年3月17日に大東亜戦争激戦の地、硫黄島で散華されました。昭和20年3月17日は硫黄島守備隊指揮官「栗林中将」が ー皇国の必勝と安泰を念願しつつ全員壮烈なる攻撃を敢行する。~ ここに将兵とともに謹んで聖寿の万歳を奉唱しつつ、永久のお別れを申しあぐー と大本営へ訣別電報を送った翌日です。大本営はこれを受け「17日に硫黄島守備隊が玉砕」と発表しました。
OBONでも本当に多くの硫黄島戦没者の遺霊品の返還を行ってまいりました。思い返せば皆さんこの17日に命を散らされております。どれだけ激しい戦闘が繰り広げられたのか想像するに胸が痛みます。
徳美さんは4人兄妹の次男で、出征前は奥様の綾子さん(平成5年没)と古平の地で暮らされておりました。今回返還された日章旗は私が見てきた他の日章旗とは明かに違い、日の丸の赤い部分は別の布で奇麗に縫い付けられてありました。きっと思いを込めて縫い、兵士に持たせてあげたのだと思います。
返還時に珍しい仕立ての旗ですよ。とこの事を説明すると義娘さんは「徳美さん夫婦は洋服の仕立て屋さんだったんですよ」「几帳面で仕立て屋さんらしいですね。。」と縫い目に指を這わせながら涙ぐまれていました。お孫さんも「本当におじいちゃんらしい旗」とおっしゃてました。
旗を受け取られた義娘さんは御年81歳。返還前には「私が亡くなる時はこの旗も一緒に棺に入れてもらって一緒に持って行こうと思うんです」と仰ってたのですが、今回、返還にお孫さんが立ち会われた事で「これで徳美さんの事を次の世代に語り継いでいけますね。徳美さんの従弟がまだ存命ですし、他の孫もいますので皆さんに見て頂いてこの先どのようにしようか考えたいと思います」と旗を後世に残すように考えてくれているようでした。
「戦後にどなたかが『硫黄島から石を持って帰ってきたから。これをお墓に』と言って可児の家に石を届けて下さった方がいまして。ご自身の手でおにぎりの少し小さいくらいの輪を作って石ころの大きさを教えて下さいました。(写真)
「古平には他にも硫黄島で亡くなった兵隊さんがいるのですが、その方には石も何も届けられなかったのに。。可児の事を気に留めて下さった戦友の方でしょうか。。以来、50年法要までその石を徳美さんと思い手を合わせてきたんです。50年法要の時に「もう十分でしょう」という事でお墓に仕舞ってしまいましたが、こんな形でまた徳美さんに触れる事ができるなんて思ってもみませんでした。」
娘さんもお孫さんも今回の事を本当に喜んでいただけてるようでした。
この度の返還誠におめでとうございます。
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