南海日日新聞/【つなぐ戦争体験】(上) 寄せ書き日章旗戻る 徳之島の出征兵士と判明 (Japanese Newspaper featured Flag return in KAGOSHIMA Prefecture )
2022-11-22
南海日日新聞/【つなぐ戦争体験...

【つなぐ戦争体験】(上) 寄せ書き日章旗戻る 徳之島の出征兵士と判明

「信井成章様の遺留品が保管されていたOBON(オボン)ソサエティから届きましたので送付いたします」―。2021年1月、鹿児島市で暮らす吉見文一さん(81)=伊仙町出身=の元へ、一通の通知が寄せられた。遺留品とは、寄せ書きが書かれた戦時中の日章旗。どうやら、故人は徳之島の出身らしい。「旗を遺族の元へ返してあげたい」。吉見さんの遺族探しが始まった。

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「OBONソサエティ」は米国で寄せ書き日章旗を日本に返還する活動をしている非営利団体。寄せ書き日章旗は戦時中、出征兵の武運長久(いつまでも無事であること)を祈り、身近な人々が署名やメッセージを日章旗に書いたもの。当時、日本兵の旗は連合軍兵士にとって人気の戦利品だった。近年ではインターネットオークションで売買されることが問題視され、厚生労働省が情報収集に当たっている。

OBONソサエティなどを通じて日本に送られる遺留品は、厚労省や日本遺族会などが資料を基に戦没者の自治体の遺族会へ照会。信井さんの旗は、日本遺族会から県遺族連合会、徳之島町遺族会へ照会されたが遺族が見つけられず、いちるの望みにすがり徳之島出身の吉見さんに寄せられた。

元高校教諭の吉見さんは、徳之島高校に赴任した縁を生かし、かつての教え子らに寄せ書きをしている人物を片っ端から照会していった。すると、信井さん当人の遺族の一人が徳之島を離れ、今は京都府で暮らしているということが分かった。早速本人と連絡を取り、信井さんについて確認した。

遺族の奥田智恵さん(67)=徳之島町母間出身=は京都府宇治市在住。信井さんは父の弟だった。父方の祖母からいつも叔父のことを聞かされていた。「成章は兄弟で一番賢くてね」―。1923(大正12)年生まれ。二十歳で出征し、23歳になる年に、フィリピンのバギオで戦死した。祖母の元には遺留品が届かず、亡くなるときまで「成章はどこかで生きている」と信じていたという。

奥田さんの元に届けられた寄せ書き日章旗に、叔父を知らない家族一同も、皆驚いた。約1メートル四方ほどの絹のような素材の旗。中央の日の丸部分は別の布で丸く縫い付けられていた。

「武運長久」「撃ちてし止まん(敵を撃つまで戦いを止めない)」「兄貴頑張レ!!」―。勇ましい激励文句が描かれていた。

奥田さんは寄せ書きをしている人物を探して徳之島の知人に連絡したが、多くの人は他界していた。唯一、母の知り合いでもあった女性の署名を見つけ連絡すると「旗を見たい」という。奥田さんは徳之島の女性へ旗を送った。93歳になる女性は寄せ書き日章旗を手に信井さんの家の墓を訪れ、「帰ってきたよ」と報告した。77年の歳月を越え、日章旗はふるさとの地を踏んだ。

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日章旗は今、吉見さんの元にある。奥田さんたっての依頼で、平和活動に役立ててほしいと送られてきたのだ。「叔父を知らないわが家の子や孫でさえ、本物の日章旗を見て(戦争の)リアルさを感じた。吉見さんの講話活動でもこの日章旗を役に立ててほしい」と奥田さんは話す。

取材中、吉見さんはすぐには日章旗を広げなかった。軽々しく触れてはいけない重い扉を開けるように、慎重な手つきで広げて見せた。その横顔には、戦争で父を失った遺族の一人として、戦没者を敬い、戦争に向き合う難しさをたたえた表情が浮かんでいた。
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