News
2021-11-07
太平洋戦争で戦死した北見市出身の男性が戦地へ持って行った日章旗が 6日、79年ぶりに遺族のもとに返還されました。 北見市常呂町出身の新江繁規さんは、1942年8月、太平洋戦争で出征していたガダルカナル島で戦死しました。当時23歳でした。 その後、新江さんが戦地に持って行った日章旗を元アメリカ兵のパイロットの男性が保管していたことから、遺族への返還が実現することになり、6日、返還式が行われました。 ...
2021-11-06
米国で長年保管されていた日章旗が1945年8月に中国北東部(旧満州)で戦死した長崎市出身の松尾昇さん(享年29)のものと分かり5日、同市城栄町の県護国神社で遺族に返還された。おいの松尾豊彦さん(84)=諫早市馬渡町=は戦後76年をへて手にした日章旗に「お帰りなさい」と声を掛けた。 旧陸軍の歩兵隊員だった昇さんは終戦間際、旧ソ連軍との戦闘で死亡した。昇さんの日章旗が米国に渡った経緯は不明で、米モンタ...
2021-10-31
【北見】太平洋戦争中の1942年(昭和17年)8月に、ソロモン諸島のガダルカナル島で戦死した北見市常呂町(旧常呂村)出身の新江繁規さん(享年23歳)が戦地で持っていた日章旗が11月6日、新江さんの妹で同町に住む中股かず子さん(93)ら遺族に返還される。元米軍パイロットの親族が長年保管し、旧日本兵の遺品返還を進める米国の非営利団体「OBONソサエティ」の仲介で実現した。 日章旗を持ち帰った元米軍パイ...
2021-10-28
KNOXVILLE, Tenn. (WATE) — A flag belonging to a Japanese WWII soldier has been returned to his family after 77 years. The effort to return the flag began in 2020 when the McClung Museum joined with UT...
2021-10-27
土佐清水市三崎出身で1945(昭和20)年6月、フィリピン・ルソン島で戦死した段崎初見さん(享年22)の日章旗が保管先の米国から〝里帰り〟し25日、市役所で遺族らに返還された。 段崎さんは陸軍兵長で船舶工兵だったという。日章旗には「武運長久」の文字と共に35人ほどが寄せ書きをしている。ハワイ州在住のクローイ・友美・グリアーさんの祖父が戦地から持ち帰り、家族で大切に保管していた。 クローイさんの父親...
2021-10-24
太平洋戦争時に米兵ら連合国軍兵士が持ち帰った日章旗を旧日本兵の遺族へ返還する米国の団体「OBONソサエティ」のスタッフを務める。札幌市内で内装業を営むかたわら、遺族を捜し、これまで400枚以上をゆかりの人々の手に戻してきた。 札幌出身。1990年に札幌の高校に進学したが「肌に合わず」、同年末に単身渡米。米在住の父親の友人の世話でアイダホ州の高校に入った。戦争を意識するきっかけはアメリカンフットボー...
2021-10-21
米国人男性が所有していた日章旗が、太平洋戦争中に戦死したいわき市の元日本兵、青木常雄さんのものと分かった。同市の植田地区遺族会が17日、植田八幡神社で返還式を行った。青木さんのおいに当たる同市の青木聖一さん(64)が日章旗を受け取った。 同遺族会によると、常雄さんは1944(昭和19)年2月にマーシャル諸島のブラウン島で、22歳で戦死したという。日章旗は、米ノースカロライナ州在住の男性が所有してい...
2021-09-23
第2次世界大戦で旧平田村(現酒田市)から出征し、フィリピンで戦死した佐藤好(よしみ)さんの日章旗が22日、76年の時を経て遺族の元に届けられた。受け取ったのはただ1人の肉親で、おいの会社員佐藤厚さん(69)=同市若宮町2丁目。厚さんは「ようやく、おじは古里に帰ることができた。若くして散った息子が帰り、亡くなった祖父母も安堵(あんど)していると思う」と語った。 https://www.youtube...
2021-09-23
76年ぶり遺品届く 佐藤さん(旧平田町出身)の寄せ書き入り日章旗 戦没者遺留品調査 米国で発見 日本遺族会が実施している「戦没者遺留品の返還に伴う調査」でこのほど、旧平田町出身の故佐藤好(よしみ)さんの遺品である寄せ書き入りの日章旗が米国で発見され22日、酒田市新橋二丁目の市地域福祉センターで戦没者遺品返還式が行われた。 故佐藤好軍曹は、陸軍野戦重砲兵第22連隊に所属し、終戦2カ月ほど前の1945...
2021-09-23
第2次世界大戦で旧平田村(現酒田市)から出征し、フィリピンで戦死した佐藤好(よしみ)さんの日章旗が22日、76年の時を経て遺族の元に届けられた。受け取ったのはただ1人の肉親で、おいの会社員佐藤厚さん(69)=同市若宮町2丁目。厚さんは「ようやく、おじは古里に帰ることができた。若くして散った息子が帰り、亡くなった祖父母も安堵(あんど)していると思う」と語った。 佐藤さんは陸軍野戦重砲兵第22連隊に所...