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2023-12-05
「敢闘必勝」沖縄戦から78年 「兄が帰ってきてうれしい」札幌の遺族に日章旗を返還 戦争中出征する兵士に贈られた「日章旗」。 兵士たちは日章旗に書かれた「寄せ書き」を、お守りとして片時も離さず身に着けていたといいます。 太平洋戦争の沖縄戦から78年。 札幌の男性の遺族のもとに日章旗がもどってきました。 (アメリカ兵の息子 グレッグ・マッコラムさん)「お会いできるのを心から楽しみに...
2023-12-05
太平洋戦争で死亡した札幌出身の旧日本軍兵士。遺品だった「日章旗」が78年の時を経てアメリカから遺族の元に帰ってきました。 児玉陽子さん:「まさか兄の肌身離さず持っていた日章旗が戻ってくるなんて思いもしなかった。私にとって奇跡中の奇跡」。 吉原一徳さん。札幌で7人兄弟の長男として生まれ、1944年、20歳のとき旧陸軍兵士として戦地に送られました。一徳さんはその翌年、沖縄戦の最後の激戦地と言われた糸満...
2023-12-05
78年前、最後に見た兄が持っていた寄せ書き入りの「日の丸」沖縄で戦死した旧日本兵の遺品が元アメリカ海兵の息子から家族の元へ 「兄が帰ってきた」。太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した北海道出身の旧日本兵。 その遺品が78年ぶりに遺族の元に戻りました。 札幌市に住む児玉陽子さん91歳。78年前の沖縄戦で兄を亡くしました。児玉陽子さん(91)「家族思いで、両親思いで、兄弟思いで…そしてハンサムでしょ?」 ...
2023-12-04
太平洋戦争末期の沖縄戦でアメリカ兵が戦地から持ち帰った日章旗が札幌市出身の男性のものだったことがわかり、終戦から78年をへて遺族に返還されました。 この日章旗は、昭和20年の沖縄戦で戦死した札幌市出身で当時21歳だった吉原一徳さんが持っていたものです。 出征する際に贈られたということで、吉原さんの名前とともに当時勤めていた札幌の百貨店の同僚など60人あまりの名前が寄せ書きされています。 沖縄戦の際...
2023-12-04
先の大戦で激戦地となった沖縄から米海兵隊員が持ち帰った寄せ書き入りの日章旗の持ち主が判明し、旗を保管していた米南部ジョージア州の一家が3日、札幌市を訪れて持ち主の遺族に78年ぶりに返還した。 日章旗は海兵隊員ハービー・マッコラムさん(故人)が持ち帰り、息子のグレッグさん(70)が同州ロームの自宅で保管していた。グレッグさんは今年3月、日章旗の返還に取り組む西部オレゴン州のNPO「OBON(オボ...
2023-12-04
1945年(昭和20年)6月に沖縄戦で戦死した札幌出身の吉原一徳さん=当時(21)=が戦地で持っていた日章旗が3日、戦後78年間保管していた米兵の遺族から妹の児玉陽子さん(91)=札幌市東区=に直接返還された。児玉さんは「兄が帰ってきたような気持ち。大切に持ってくれていてありがたい」と涙ながらに感謝した。 ■妹「兄が帰ってきたよう」 旧日本兵の遺品返還を進める米オレゴン州のNPO法人「OBONソサ...
2023-11-28
来たる令和5年12月3日に札幌護国神社にて執り行われます「吉原一徳命日章旗返還式」について概要をお知らせ致します。本返還式は一般参列者のご参加はありませんが、米国より旗の提供者「グレッグ・マッコラム」氏とそのご家族、当会共同代表のレックス&敬子・ジークが来日し、兵士ご遺族へ直接に遺霊品を返還する事となります。注目度も高く多くの取材が既に行われております。皆様には返還式の後に紙面やニュース動画など含...
2023-10-20
Please click the link below to read our latest newsletter detailing the Sasakawa Peace Foundation USA Policy Briefing series, where our co-founder, Rex Ziak, delivered a successful presentation. https...
2023-10-12
大平洋戦争末期の1945年にフィリピン・ルソン島で戦死した陸軍兵長石原力三さん(23)=郡上市白鳥町那留(なる)出身=の日章旗が、戦利品として持ち帰った米軍の元兵士の遺族から返還された。力三さんは未婚のまま出征し、きょうだいもみんな亡くなっている。78年ぶりの里帰りを果たした遺品は、13日に開く市戦没者追悼式で初めて公開される。 日章旗を受け取った元郵便局員石原勝彦さん(65)によると、力三さんは...
2023-09-09
太平洋戦争中にフィリピン・レイテ島で戦死した滋賀県東近江市の門阪庄平さん(享年22歳)が出征時に持っていたとみられる日章旗が米国で見つかり、終戦から78年ぶりに遺族に返還された。戦地の無事を祈って寄せ書きされた友人らの名前が記されており、遺族は「これまで兄の遺品がなかった。まるで分身のよう」と話している。庄平さんは21歳で出征し、地元の神社で送り出される際に、肩に日章旗をかけて「弾に死んでも、病に...